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「街をつなげる人をつなげる」江東区キーパーソンインタビュー《 vol.001》江東区 大久保朋果区長 / Part2

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「江東経済新聞」の特集は「街をつなげる人をつなげる」をテーマに街に寄り添う人を紹介します。まずは【江東区キーパーソンインタビュー】を展開します。
第1回目は江東区の大久保朋果(ともか)区長にご登場いただきます。

行政に携わろうと考えた理由を教えてください。

区長の前に私が公務員になろうと思った理由は、子どもの福祉に携わりたかったからです。友人との関わりの中で、悩み苦しんでいる子がいる。話を聞くと、友人関係だけでなく、家庭でさまざまなことが影響していることもありました。我が家は親が教員だったこともあり、いろんなご家庭の話を聞く機会があったということもありました。昨今「親ガチャ」という嫌な言葉がありますが、子どもは家庭環境にすごく影響されてしまうと思っています。それでも、自分の行きたいと思う道を歩んでほしいと本気で考えているので、生まれた環境によって何かを限定されることなく育っていける世の中にしたいと思いました。子どもの福祉に関わる仕事をと考えたうえで東京都で働くことを選択しました。

都の職員から区長を目指した理由を教えてください。

実は私の祖母が婦人参政権運動をされていた市川房枝さんという政治家の秘書をしていました。女性は昔、参政権がなくていろんな意味で苦労したり、我慢していたと思います。祖母を含めた先人たちが自ら道を切り開いたことを、祖母からよく聞いていたというベースがあります。今日でも各種データで女性の活躍がまだ充分ではなく、特に日本は遅れていることもあって、孫である自分も女性活躍に貢献したいという思いがありました。

そのほかにも理由がありましたか?

前述した子どもの成長と女性活躍という2項目に加え、結婚後に義理の両親と同居し、介護をする状況が生まれました。立場上、さまざまな福祉制度を把握していたこともあって、介護制度を使って仕事と両立はできました。

個人でできることには限りがあって、社会全体で支える仕組みが重要であると実感しました。ただ、都は制度を作る側で、直接関わることが多くありません。私自身は親が教員でしたし実際その介護の現場を見て、直接関われるようなフィールドで仕事がしたいと思うようになっていきました。

いざ立候補することを決めた転換点を教えてください。

祖母が政治家の秘書だったことで政治家という道も思い描いていました。将来的にやりたいという話をごく近しい人に少しずつですが相談もしていました。そうこうしているうちに急遽、立候補してくれる人を捜している話をいただいて、当時の混乱を納めるには自分の行政経験が活かせるのではないかと思いました。タイミングと諸条件が自分の中で重なったことで、「えいやっ」という立候補でした。

当選後、行政の実務経験が活きていると思う事柄を教えてください。

どの業界でもその業界の決まりごとがあります。公務員は法律や制度の上に成り立っているので、決まりごとがすごく多いです。それらを全く知らない人が区長になるよりは、そういった決まりごとを知っていたほうがスムーズに業務が進められます。スケジュールや枠組みも含め、都庁と区役所は似ています。例えば、年4回議会があるとか。構造が似ているので引き継ぎがなかった私の場合の交代でも、混乱をまず収めることに注力し、早期に収束を図れたことは実務経験が活きたと思います。区の職員は大変だったと思いますが、本当に頑張っていました。区長不在の間も副区長が代理業務をし、区民に迷惑をかけるようなことにはならなかったと記憶しています。

混乱が収まってすぐに取りかかったことを教えてください。

12月に区長となりましたが、すでに各部署の来年度予算の中身が決まっているタイミングでした。実際に議会での審議は年明けでしたが、自分なりの予算を提案できる状況ではなかったので、できる範囲で、判断を求められればそれはこうしましょうという形で対応しました。民間であれば、社長が判断したことがそのまま実行されますが、地方公共団体では自分たちが決めたことを議会に諮らなければなりません。区長がこれをしたいと言っても、すぐにやりましょうとできるわけではなく、議会承認を得て始めることができます。そういう段取りを認識していたので、やり取りはスムーズだったと思います。

次のパートでは区長として実現したいことについてお聞きしました

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