
ーー2025年10月3日、江東区の青海にホームアリーナ「TOYOTA ARENA TOKYO(トヨタアリーナ東京)」がオープンしました。企業として、チームとして、どういう経緯でアリーナ誕生に至ったのかを教えてください。
Bリーグが2015(平成27)年に発足した当初、参入チームにはライセンス条件として「5,000人以上収容できるアリーナを確保する」(自前で持つか賃借するか)ことが求められていました。当時、アルバルク東京はNBL時代から代々木第二体育館(収容人数4002人)をほぼホームアリーナとして使っていましたが、東京で5,000人以上を収容できる施設は非常に限られていました。
その様な環境の中で、Bリーグが暫定期間を設け、5,000人未満でも施設要件を満たすとの措置を講じたことで、アルバルク東京は引き続き代々木第二体育館をホームアリーナとして開幕シーズンでの試合を実施いたしました。しかし翌年、東京オリンピック・パラリンピックに向けた耐震補強工事が始まり、シーズン終了後の6月から同体育館が使えなくなってしまったのです。結果として試合ができない期間が生じ、大変困った状況に陥りました。

ちょうどその時、私がかつて取引のあった立飛グループ(主に不動産業・建設業)が新しいアリーナを作るという情報があり、同社と相談の末、そこを使わせてもらえることになりました。ただ、ライセンスの規約上は「ホームタウンとホームアリーナが一致すること」が求められており、立川へ移転するか、暫定措置を続けるかの判断が必要でした。結果、暫定措置として認めていただいたものの、オリパラ後に暫定措置が終了すると、アリーナ問題は依然として残ることになりました。
その後もコロナ禍などがあり、一時的に代々木第一体育館(収容人数約1万人)を使わせてもらった時期もありましたが、長期的に見てその状態を続けることは毎年の予約日確保とクラブの体力上も難しく、ファンの皆さんに対して「ここがホームです」と言い切れない状況が続くことは望ましくありませんでした。私は以前から、チームとアリーナを一体化して運営することが相乗効果を生むと考えており、自前のアリーナを持つ必要性を株主にも説明しました。それが理解を得られ、現在に至っています。そこに至るまでは本当に苦労が多かったです。
ーー本拠地が定まらなかったことによる具体的な苦労をお教えいただけますか。
特にシーズン中のブッキングは非常に手間がかかりました。私一人だけの苦労ではなく、関係する数名が並々ならぬ労力を注いでいました。その労力を、TOYOTA ARENA TOKYOの完成により、たとえば施設やコンテンツづくりといったもっとポジティブな方向に使えるようになったことは、経済的効果としても大きかったと感じています。
また、フロントオフィスの所在地も重要な問題でした。オフィスが文京区後楽にあり、練習拠点や試合会場がそこから離れていると、単なる「数十キロの距離」では済まされない精神的距離の大きさがありました。現在のように同じ場所で活動できるかどうかは、クラブとして一体になれるかどうかの大きな要素です。そうした観点からも、今回の本拠地移転とオフィスとの一体化は相乗効果を生んでいると実感しています。
ーー多くのクラブが同じような問題を抱えながら運営をしているということですか?
一般的に、他の多くのクラブではアリーナとフロントが分かれているケースが多く、一体型になっている例は多くありません。専用の練習場があっても、オフィスや会議室が併設されていないことが一般的。現在でも公共施設を借りての練習や事務作業を行うケースが散見されています。その点で、今回のように練習場や事務スペースまで含めて整備されている環境は極めて恵まれており、感謝しかありません。
一体型の整備が可能かという点は地域によって難易度が異なります。場所によっては公共性や土地の制約で難しいところもあるでしょう。また、アリーナを単にホームの試合だけで使うのではなく、多目的に活用することについても考えていかなければなりません。イベントやコンサート、公演などの用途に耐えうる仕様を想定していく必要があります。
